terre thaemlitz writings
執筆

メタファーとしての音
サンプリングと意味(講演録)
Audio as Metaphor: Sampling & Meaning

 
- テーリ・テムリッツ
Creative Commons Japan iSummit 2008 Workshop


First presented at Creative Commons iSummit 2008, Sapporo, July 31, 2008. Originally posted on comatonse.com August, 2008. CCJP iSummit08のサンプリング・ワークショップの講演録(札幌コンベンションセンター、2008年7月31日)。

 

Summary

テーリ・テムリッツ、「メタファーとしての音:サンプリングと意味」(講演録)、CCJP iSummit08のサンプリング・ワークショップ(札幌コンベンションセンター、2008年7月31日): オーディオ・サンプルは参照部分となり、音楽の内容をより深めることができます。 しかしながら、オーディオ・サンプリングに対する法的規制は、私たちが意味のあるオーディオ談話をする機会を著しく制限します。 代わりに、私たちは、サンプリングはお金を稼ぐ為のマーケティング上の策略と見なすことを教えられます。 15年以上のキャリアを通じて、Terre Thaemlitzは、テーマに基づいてサンプリングをし音楽を作ることを続けています。 2005年に、トランスジェンダーであるTerreとベルギーを拠点とするサイバーフェミニストLaurence Rasselは、コピー・レフトと著作業に関する「The Laurence Rassel Show」というラジオ・ドラマを作りました。 もともとドイツの公営ラジオの依頼で作成されたのですが、内容に問題があるとのことで放送がキャンセルされました。 おかしなことは、そのラジオ局は、オーディオ・サンプルが使用されていることを全く気にかけませんでしたが、ペギー・フェラン、ジョーン・スミス、ミシェル・フーコー、ロラン・バルト他による原作者の「根源」と「張本人」のテーマについて書かれた哲学的なテキストの朗読が含まれていることを問題視しました。 このワークショップでは、Thaemlitzが、内容に基づいた音楽の創作を禁じる文化的風潮の中で、サンプリングの為の戦略を議論する為にいくつかの曲を提示します。(ワークショップのレビュー)


 

Introduction

私の目で、全部の世界の文化はサンプリングで出来ているように見えます。 私はトランズジェンダーというdrag queenなので、性と性別、セックスとジェンダーもサンプリングで出来ていると思います。 服(ふく)とかスタイルとか話し方とか身体の動き方とか、皆は色々のサインを混ぜって、「自分」というアイデンティティーを作ります。 社会はサンプリングで溢れているので、私が音楽を初めて作ろうと考えた時、音楽を作る為にサンプリングをする事はとても当たり前の事だと思いました… それは80年代の終わり頃でした。 そんな関係で、今日は私がサンプリングについて、ワークショップをする事になりました。 お聞きのように、私の日本語はまだまだですが、これも皆さんが話す日本語からサンプリングしたリミックスだと思って、聞いていてだければ、もしかしたらもう少し聞きやすかもしれません。そうだと良いと思います… 宜しくお願いします。

Copyleft

今日のワークショップに Creative Commons を知らないミュージシャンもいるかもしれないので、 始めに、音楽に関係するcopyright(コピーライト)と、copyleft (コピーレフト)と、 Creative Commons (クリエイティブ・コモンズ)について説明したいと思います。 Wikipedia によれば、「copyleft とは、著作権に対する考え方で、著作権を保持したまま、二次的者作物も含めて、すべての者が著作物の利用・再配布・改変できなければならないという考え方である」ということです。 コピーレフトは著作権の選択肢より、著作権の再編成です。 コピーライトのリミックスですね…コピーライトからサンプリングして、コピーレフトにするみたいでしょうか。 コピーライトのリミックスですね。 コピーライトからサンプリングして、コピーレフトにするみたいでしょうか。 コピーレフトはどれか特定Creative Commonsの考え方をさすのではなくて、Creative Commonsなどを含めたいろいろな情報共有を模索する考え方を大きくとらえた範疇を示します。 例えば、コピーレフトは音楽で、Creative Commonsはその中の一つのジャンル、ジャズとかロックとか、そういう関係になります。 その言葉は英語の「copyright」のダジャレなんですが、 Right と left は右と左ですね。 Copyleft の「left」は「左翼」のニュアンスもあります。

音楽を考えると、普通、二つの著作権が関係あります… 一つは楽譜の音楽著作権です。 日本で、JASRACはそのパブリシングの印税回収業者です。 アメリカは BMI と ASCAP、ドイツは GEMA など… ほとんどの国は一つだけの印税回収業者があるので、 「専売的な物」とか「カルテル」という批判がよく出ますね。 例えば、ドイツの工場でCDを作ると、一枚ずつ GEMA に何円かを払うことが必用です。 でも、もしそのCDの音楽家は回収業者に登録してなかったら、 GEMA はそのお金をキープします。 そして、回収業者は音楽家の権利を守ると言うけど、 同時に未登録のアーティストになりかわって、自分たち業者のお金にしてしまう事もよくあります。 印税の回収業は大きいビジネスで、何でもからお金を取りたいから、 今自分が持っている利権がなくなるのがイヤなので、 コピーレフト (Creative Commons など)の、大衆の情報共有と言う考え方との間に、対立があります。

もう一つの音楽のコピーライトはマスター・レコーディングの著作権です。 それはパフォーマンスの録音のことです。 時々、作詞作曲者と演奏者は同じ人になります。 例えば、すてきな ua様 とか 浜崎あゆみ様 はシンガー・ソングライターなので、両方のコピーライトを持ってるかもしれません。 でも、ジャニーズのユニットの歌はほとんど、他のソングライターが書いたから、マスターとパブリシングのコピーライトは別々になります。 その場合は、サンプルを許可してもらう時に、二つの著作権者のオーケーが必用です。


 

普通のポップスとかヒップホップを作る場合、お金があれば、ほとんどのサンプリングについて簡単に許可をもらうことができます。 でも、実験音楽、experimental music とか、批判的な音楽とか、変な「お金にならない」音楽を作れば、サンプリングの許可はもっと貰いにくいです。 例えば、私のよくある経験は、「オリジナル曲の名誉毀損になる」ということでダメになった。 一つの理由は、会社の凡人の弁護士は実験音楽の事を知らないから、もしその音楽は良いか悪いか、その人には判断できないです。 まぁ、それはちょっとしょうがないと思うけど… もう一つの理由は、ほとんどの業者はお金にならない音楽または政治的な音楽に興味がないからですね。

そういった問題を減らしたりさけるために、コピーレフトは沢山のアーティストにアッピールができます。 コピーレフトは、ある方法で無料で音楽を使用することを可能にするので、音楽家の好みに合います。 もちろん、今の時代に、ライセンス無しで曲をリリースしても、あなたはまだ著作権を持ってます。 でも、コピーレフトのライセンスを使えば、さらに他の人が安心してその曲を使えることも示すことができます。

例えば、非営利的音楽家が無料でサンプルすることを認めることができます。 恐らく、サンプルに入った曲のクレジットにオリジナルの音楽家の名前を書く必用はあるかもしれませんが… それとも、もし宜しければ、営利的音楽家も無料でサンプルすることができる。 それでも、オリジナルの音楽家はまだ自分のオリジナル曲からお金を貰う事ができるでしょう。 色々な可能性があります。


 

これは色々なコピーレフトを標榜するグループのライセンスのロゴです。 General Public License とか、Creative Commons とか、Free Art License などのコピーレフト・システムが沢山あるけど… ポイントは、コピーレフトを使って、皆の安心の為に、無料でサンプリングが出来ることを簡単に示す事が出来ます。

ただ今は、このコピーレフトでは印税をもらうことができません。 問題は回収業者とかパブリシャーにあります。 Copyleft のライセンスを使った場合、JASRACなどほとんどの回収業者はその曲を守りません。 そして、今、パブリシングの印税を貰いたい場合は、通常通り回収業者に曲を登録が必要です。 この問題が解決されるまで、フリーサンプリングを可能にするために、私たちができることは、回収業者に登録したあと、自分のホームページとか他の所で「この曲をサンプルしても、裁判しないよ!」と教えることでしょうか。 それで、あなたの曲のラジオプレーとかテレビプレーから普通に印税を貰えるし、他の人は安心でサンプリングができるし…その感じ…

パブリックドメイン(public domain / 公共財産)とは、誰でも使用出来るまたは議論できる物のことです。秘密ではありません。(著作権 (copyright) ができません)
 
フォーク(folk)とは、ジャンル(アコースティック ギターなどノ)より、民衆的な(民間、伝承)ものとか、 伝統的なものなど…

でも、法律とか、または今まで話したライセンスなどは、実際はサンプリングの色々な問題を解決しないと思います。 その理由の一つは、音楽は法律をこえた、文化てき、フォーク的なものだと思うからです。 音楽の法律上の定義と、実際の社会における音楽の文化的な役割は違います。 私たちは、サンプリングはお金を稼ぐ為のマーケティング上の策略だと教えられますが、 本当は、オーディオ・サンプリングは文学の脚注のようなものと言えるでしょう。 オーディオ・サンプルは参照部分となって、音楽の内容をより深める(ふかめる)ことができます。 文学の脚注には、もちろん、許可はいりません。 でも、サンプリングには必要です。 脚注と同じやくわりをしているに… そういう風に考えれば、ある時点で著作権とかパブリックドメインなどのインフォメーションにかんする規則が意味のない物になることが分かるでしょう。 それは、音楽もトラディションだから…


 

でも、音楽はいつトラディションになりますか? 著作権を厳しく守らせる会社は、厳しく著作権の使用を監視しながら、同時に、お客さんが音楽を個人的に自分に一体化したものと感じる、つまり自分の物と感じる事を狙っています。 メディアを売る為に、ジャンルにアイデンティファイすることも望みますね。 (こどもの時には、私はニューウェーブだった)

また、音楽が嫌いだとしても、私たちはある曲から逃げることができないこともあるでしょう。 ラジオ、テレビ、通り過ぎる車のステレオ、隣人のまど、マーケットのBGM、デパートのBGM、レストランのBGM、電話の保留音… 私たちの自由意志に背きます。 それは私たちの感覚の企業による占有です。 ある日、私たちがジャニーズのCDを買わなければいられなくなるまで。

レコード会社は、音楽が伝承的になる事を望むけど、 著作権のせいで、私たちは自分の文化を持つことができません。


 

YMOの方が皆さんには感覚として、モーニング娘より、音楽が文化的な物と考えるのに分かりやすいでしょうか。

[アコースティック・ギターのBGM]

レコード会社だけじゃなくて、コンピューターとかソフトウェアーの会社からも矛盾的なシグナルを貰いますね… 例えば、Apple のGarageBand… iLife に入ってるMIDIシーケンサーとサンプルライブラリー。 開発会社は Logic Audio。 誰でも、ドラッグ・アンド・ドロップで、プロフェショナル的な音楽が簡単にできるソフトウェア…

私は、本当に、このソフトをつかった事はなかったけれど、初めて使って、今流れているこの音楽を3から5分でロープ・ライブラリーから作る事ができました。 (わたしは Logic もつかったことがないですね) 本当に簡単、と音はスタジオミュージシャンの味があると思う。 なんか、怖い…ふふ

[曲の作り方を説明しました]


 

「GarageBand」というソフトの名前は…?

  • American Middle Class (中流階級)のサラリーマンの子供が親のガレージで、ロックを練習するイメージですね。
  • そして、このソフトのとても大きな会社はインディーズとかアンダーグラウンドぽい味を出したかった。

「My Song」というデフォルト・プロジェクトの名前は…?
  • このソフトから作った曲は自分の曲…

例えば、曲をiTunesにエキスポートすると、「My Song」とか「マイ・アルバム」などの名前で表示され、私たちを「自分の作った物とか財産」の気持ちにするでしょう。


 

他 のソフトも、この名前パターンを使いますね。 Roxio Toast など、デフォールトの名前は「My Disc」たか…

この色々の矛盾ありのコンテキストにおいて、サンプリングとは何でしょうか? クリエートするとか、作り出すという事は何でしょうか? 原作とは何でしょうか?

無益な運動 (USELESS MOVEMENT)
(4:06 - 無料MP3ダウンロード, 7.1MB)
「The Laurence Rassel Show」から
翻訳:吉田泉


Pierre De Jaeger as Michel Foucault

    Michel Foucault: (「作者とは何か」から引用)真実はその逆で、作者なるものは、作品を満たす意味を生み出す無限の源などではない。作者は作品に先行して存在するものではなく、彼は、我々の文化において制限や除外、選択を行うために用いられる、ある種の機能的な原理原則なのだ。一言でいうと、作者なるものは、物語の自由な流通、自由な操作、自由な構築・脱構築・再構築を妨げるものだ。実のところ、もし我々が作者というものについて、これを天才として持ち上げ、絶え間ない発明のほとばしりであるとすることに慣れているとしたら、これは、我々が作者というものを現実にはまさにその逆の方向で機能させているからだ。作者とは観念上の産物であるともいえよう。なぜなら、我々は、作者というものを、歴史上彼が担った実際の役割とは正反対のものとして提示しているのだから。(歴史上所与のものとされる機能が、これをひっくり返すような人物の担う機能として提示されるとき、これを観念上の産物という。)それゆえ、作者というものは観念上の人物であり、意味の増殖に対する我々の恐怖の在り様を明らかにするものなのである。

    こう言いながら私は、作者なる人物によって物語が制限されることのない文化のかたちを求めているかのようだ。しかし、全き自由のもとに創作が行われ、物語に必要な、あるいはこれを制約する人物(すなわち作者)を経ることなく、物語が皆の手に委ねられて発展していくような文化を思い描くことは、純粋なロマンチシズムであろう。とはいえ、18世紀以来、作者は創作活動の調整者という役割、すなわち、この産業社会・ブルジョア社会という時代そして個人主義と私的所有制度を特徴づける役割を果たしてきたものの、現に起きている歴史的な変容を考えると、作者という機能が、その形式や複雑さ、さらにはその存在(の要否)においてすら、今後もこのままであり続けることが必要とは必ずしも思われない。私が思うに、我々の社会が変わるにつれ、まさにその変革のさなかにおいて、物語とその多義的なテキストがもう一度別のモードにしたがって機能する為に作者という機能は消失するだろう。そのとき(物語への)制約がなくなるわけではないが、制約のシステムはもはや作者ではなく、今後決定される、あるいは、おそらく体験されるものとして立ち現れるシステムであろう。

    Laurence: それは全く冗談みたいで、同時にまた逆説的なこと。なぜなら、女たちは「作者」の後ろにある(不当に搾取された)性と肉体と身体の返還を要求し続け、女の画家、女の映画作家、女の作家がいることを繰り返し主張し続けていた時だった。その同じ時、68年と69年、バルトの「作者の死」、フーコーの「作者とは何か」という偉大で神話的なテキストが発表された。どちらの作品も読者の誕生のために作者の死を主張していた。偶然にその二人の男性の主張には、フェミニストが望んだのと同様の「作者を本気で殺し、家父長制的な天才の象徴、すなわち男性の作家を排除する」という考えが含まれていた。しかし、同時にそれはフェミニストたちが作者みたいに振舞う為に自ら占拠する必要があった「作者」という居場所を崩していくことにもなった。あの頃のねじれはここにあった。自分が作者であることを私たちがついに主張するに至ったまさにそのとき、はて、作者が死んでしまったというのは、なんだか冗談みたいだと私は思う。つまるところ、女たちやフェミニストたちは、ある意味いつだって遅れているということになった。女たちが作者の取り戻しを主張するとき、それはもはや時代遅れである。「あんたたち遅れてるわ、なんて流行遅れなんでしょう。」という感じだ。女たちは何世紀もの間、作者の姿を追い求め続けているということである。今までの(西洋の家父長制の)システムにおいて、作者とまたはそのインスピレーションは全く女性を含まなかった。というのは、昔、着想の源は(ユダヤ教・キリスト教の老爺の)神さまから来たと言われていた。それから、今度は生物学(男性が女性の文化に一切影響を受けず、男性独自で無性生物的に家父長制の社会を生んだと主張した)。それから、次は実存主義者とコンセプチュアルな作者。それから次はまた別のなにか、また別のなにかノ だから、女性はずっと作者の姿を追い求め続けているわけである。いつだって遅れている。でも同時に、逆説的だが、私たちーフェミニストである「私たち」かもしれないし、現在女である「私たち」かもしれないーがこの場所を決して手に入れることがないということが、私には素敵に思える。私たちは決してそれを捕まえることがない。つまり、私たちは決して正しい場所を手に入れることがない。私はそれを素敵だと思う。いつだって混乱させて、いつだって追い求めて、いつだって移動して、いつだって手に入れられないなにかを追い求めている。それは私たちを休ませない、無駄な期待に無益な運動でもあるが… そして私はそれが好き。

    いつだって混乱させて、いつだって追い求めて、いつだって移動して… 無益な運動。

    ええ、確かに、フェミニストたちはいまだに50年代、60年代そして70年代初頭のフランスの知識層に対して悲しみと怒りを抱いている。なぜなら、彼らは自分達の作品とフェミニストの作品や理論との間にあるつながりを明確に認めようとは決してしなかったのだから。だから、社会の変化に直面したときー家父長制の象徴を、教育システムや刑務所やその他もろもろを取り囲んでいる父親を排除しようと望むときー知識層たちはフェミニストの作品と歴史と自分達の間にあるつながりを決して認めようとはしないだろう。

2005年に、私とベルギーを拠点(きょてん)とするサイバーフェミニストLaurence Rasselは、authorshipのテーマに関する「The Laurence Rassel Show」というラジオ・ドラマを作りました。 Laurenceさんと私は二人ともフェミニストなので、また私はトランズジェンダー(ドラッグ・クイーンとか手術しないニューハーフ)のアイデンティティーもありますので、ジェンダーのベースから原作とか authorship のことを考えました… 例えば、父権社会に生まれたら、上の名前はほとんど男の方から来ます。 また、女性が結婚すると今まで持ってた父の名前は別の男の名前になる。 その場合、女性にとって自分の名前とは何でしょうか? もしも女性は生まれてから死ぬまでに「自分」の名前を持ってないならば、自分が作った物に原作者的に名前を使うことは意味があるでしょうか? トランズジェンダーの事を考えると、自分の身体をジェンダーにあわせて原作したと言う事ができるでしょうか? それとも、それはやはり、ただ既存のジェンダー・パッターンをまねしただけでしょうか? そして、私たち二人も、この私たちの身体の奥から「原作することができない」という気持ちからこのプロジェクトを始めました。

もともとこの作品はドイツの公営ラジオの依頼で作成したのですが、内容に問題があるとのことで放送がキャンセルされました。 おかしなことは、そのラジオ局は、オーディオ・サンプルが使用されていることを全く気にかけませんでしたが、Peggy Phelan, Joan Smith, Michel Foucault, Roland Barthes などによる原作者の「根源」と「張本人」のテーマについて書かれた哲学的なテキストの朗読(ろうどく)が含まれていることを問題視しました。

宜しければ、も一曲を聞かせたいんですが… ちょっとながい、18分ぐらいですけど、この曲の中の話しは今日のテーマをよく合うと思います。 中の会話は英語ばっかりですけど、スクリーンに日本語の翻訳が出ます。 皆さんはコピーも持ってると思います…

「甲はここに…」 (WHEREAS THE PARTY OF THE FIRST PART...)
(17:58 - 無料MP3ダウンロード, 30.4MB)
「The Laurence Rassel Show」から
翻訳:辻愛子


Laurence Rassel as self

    Laurence Rassel: さて、まずはライセンスするとすれば、どういった選択肢があるか聞きたいのだけれど、えーとこのドラマを作るのに、なんていう会社の為だっけ…

    Terre Thaemlitz: …ヘッシシャー・ランドファンク…

    Laurence: …その為に作った作品のライセンスについて考えた場合、どんな選択肢があるでしょうか?

    Nicola Malevé: それはあなたがどのくらい正確さと合法性を求めるかによって違ってくるでしょう。なぜならまずライセンスを決める前に、使用している素材の使用権をきちんと得ているかどうかを確認しなくてはなりません。

    Terre: あー、ええと、それは・・・。じゃあ、次の質問は…

    Nicolas: それじゃ、しょうがないけど。つまり、この著作権にまつわることの第一歩は、あなたが自分が初めて使うことができる、誰にも使用されていないオリジナルの素材といったようなものを持っているとういうことを法が仮定しているということです。

    Terre: それは基本的に不可能でしょう。何についてでもいえます。サンプルを使用した作品ばかりではなくて…

    Nicolas: そうですね、もしあなたが無垢で創造的な天才だったらどうかな、(笑)だから基本的にこれは法律上の絵空事(作りごと・空想)なんです。

    Laurence: 私たちが手つかずの、新しい、オリジナルの素材を持っていると考えてみてください。

    Nicolas: 特にヨーロッパにおける著作権においては、内容(作品)に関する著作者人格権を守ったり法的に保護をうけたりしたいと考えるでしょう。つまりこれは基本的に市場に出したり、他人の利用や使用の為に権利を売ったとしても、あなたのメッセージがけなされたり批判されたりほかのメッセージの為に誤用されたりすることは望まないという事実があるといえますよね。これはヨーロッパの著作権にのみにみられる現象です。でもとても大切なことで、理由は著作権と言論の自由をめぐる議論に対するあなたの態度を本当に変えるものだからです。アメリカでは著作権を売ると基本的に著作者人格権も売る事になります。これはヨーロッパとは違っているので、このテーマは全く違ったものになります。

    弁護士:ファイルキャビネットを探して、やっとあなたが最初の出版社と結んだ契約書を見つけました。

    女性作家:ああ、良かった。安心したわ。

    弁護士:「甲は…」えーと、これは出版社の事ですね・・・、「ここに…」

    女性作家:失礼、私が読んでもいいかしら?

    弁護士: おそらくお読みになれないと思います。法律用語で書かれておりますから。

    女性作家:(読みながら)ああ

    弁護士: 大丈夫ですか?

    女性作家:この書類に私がサインしたなんて信じられないわ。私は権利を放棄している。ああ、なんて馬鹿なんでしょう。私が謝罪するほかないわね。

    弁護士: 謝罪?

    女性作家:全く痛々しいことだけど、謝らなくてはならないわ。(くすくすと笑う)

    Nicolas: 私は最初あなたの作品をライセンスする場合、その前にしなくてはいけない基本的な手続きについて話していました。最初は使った素材の使用権を得なくてはなりません。そのほかにどのような法の下にその作品が作られたのかを考える必要があります。あなた達のケースでは、これは大変面白いことになります。なぜなら、ここにヨーロッパ人の著作者になりたくない人と、日本で働くアメリカ人の著作者がいて、その二人が共作した作品をドイツでリリースしようとしているからです。つまり、これは、いま私たちは今までにないような非常に複雑な状況下にいて、なぜかと言えばアメリカの著作権とヨーロッパの著作権と、そして日本の著作権の支配下にあり、しかも日本の法律はアメリカの著作権法と日本の既存の法律の混合物みたいなものでもあるので。だからこれは本当に・・・というより自分では答えの出せない疑問なのですが、どの法が適用されるのか判りません。おそらく、その作品をどこでライセンスするかによるのでしょうが、だからドイツですればドイツの法律でなのでしょうけれど、やっぱり確実にそうだと言い切ることができません。

    (いくつもの声が重なり合って聞こえる、どれがどれだか判別はできない)


    Nicolas Malevé as self
    Nicolas: 基本的に、コピーレフトのライセンスについて最も問題となるであろう事は、コピーライトシステムと全く異なったようにはオーサーシップを定義していないということです。もちろん、コピーレフトはコピーライトの形をかえます。その過程で人々の習慣を変える後押しするでしょう。でもその第一歩は、やはり著作者は無垢で、オリジナルで影響を受けず、または他の何物からも素材を取ってきていない物であるとみなす事から始まっている訳です。もちろん現実では、ふつうはそこまで信じてはいないでしょうけれど。でも、やはりあなた方がとらなくてはならない必要な一歩でしょうか。そして基本的にどのようにして権利を明らかにするかという問題なのです。あなた方は自分がロマンチックな天才だなんて信じてはいないでしょう。それはもっと、いかなる攻撃からもあなたの作品を守ってきたかどうかというようなことなのです。でもそうする事によって、あなた方は既にたくさんの自分の創造性、作品等、その他いろいろの使用可能性を放棄してきたという事なのです。

    私が思うに、質問の一つとしてライセンスという立場から考えることが意味あることなのかどうかがあげられると思います。(それからもちろん、どういった文脈でそれを使うのかというのも質問の一つです。なぜならコピーライトについて私が抱えている問題は、コピーライトの例外について取り扱う優秀な法学、法知識によって解決される、と言う事ができるからです。)たとえば、Illegal Art (違法芸術)というウェッブサイトにある作品は、クリエイティブコモンズライセンスを使って解決されるような物ではないのです。なぜなら、そういった場所でみられるイメージ、サウンド、ビデオを使う人達は、意図的にそれらを使い、その著作権を持っているもの自体を批判しているのです。または、ある物を支持する、反対するという事を表明するために使っているからでもあるのです。だから、ある物が誰の所有であるか、という事はその作品の一部でもあるのです。フォックスやディズニーの所有である、ということはそれ自体意味のあることなのです。もちろんだからといって「まずはディズニーに連絡して許可をもらわなくては・・・」という風には言えません。それは意味がありません。

    弁護士:私の事務所の所長マーティン・ストリンバーグ先生が、あなたが捕まったと聞いたらすぐに私に警察本部へ寄越しました。

    女性作家:私を釈放する為に!

    弁護士:いいえ、あなたと取引する為にです。彼はワーナーでもフォックスでもパラマウントからでもあなたの欲しい物は何でも持ってくることが出来ます・・・あなたの映画が作られたスタジオ以外ならどこでもです。あなたが逮捕された為、スタジオに出入り禁止なのです、破壊分子として。

    Nicolas: この場合、ある作品を言論の自由の為や批判的なサンプリングなどに使用するなど、コピーライトが権利の例外事項としている使用の権利について、弁護士や裁判官はまたは全く守ろうとしない事が問題なのです。一つの裁判が終わってしまえば、そういった問題はすぐに忘れられてしまいます。「でも、許可を得るべきだったよね」と全く阿呆なことを人は言うのです。

    だからもし、本当に「ライセンスは私には関係ない。なぜなら私は誰かが所有している資源を使うけれど、許可を得る必要がない理由もあるし、基本的にこの立場を守るために戦う準備もできている」と言うことができます。ライセンスを得る必要はないのです。その場合、正確になんというのかは分かりませんが、訴えられた人の団結というか、言論の自由についての情報を伝えるような事になります。そしてそれは「私はライセンスから始めます」と言うポジションとは全く違っている何かだと私は思うのです。私にとって、それはとても重要なことで、なぜなら、クリエイティブコモンズを支持する人はノ フリーアートライセンスにおいては、その矛盾はないのですがノ クリエイティブコモンズを支持する人は「コピーライトは悪いなぜなら・・・」と言いながら、実際はコピーライトが権利の例外事項として設定している事をコピーライトを批判する為に使い、そして、解決策はフリーライセンスだと言うのです。一方が他方の解決策になるわけではないのです。私はフリーライセンスが悪いと言っているのではなく、それが彼らが机上にあげた問題を解く答えではないと言っているのです。

    (たくさんの話し声が判別できないように重なり合い聞こえる)

    Terre: ローレンスさん、もしこのプログラム対するあなたの音楽著作権を主張したい場合、どうしたいですか。

    Laurence: そうですね、この問題は私には簡単です。なぜならすでにこの作品にはGEMA(ドイツ音楽著作権協会)に登録している著作者が一人いるからです。でも私がタダで自分の仕事を引き渡すというのとはちがいますよ。

    Terre: 私はGEMAに登録していません。私はBMI(アメリカ音楽著作権協会)に登録しています。

    Laurence: …BMIですか。私が言いたかったのはこのプログラムの一方の著作者は、通常著作権として理解されてる範疇で印税を受け取るということです。だから私は簡単に「回収社会の一員になりたくない」と言えるのです。もし単独でこのラジオ番組を作っていたとしても、私の仕事に対して「No」ということができるので、同じ結論を下すことが出来ます。でもこのような既存のプログラムの為に、タダ働きはしたくないのです。それはつまり、私は何かに対して「No」という余裕がまだあって、なぜならそのほかに本業というか仕事を持っていて、CDもラジオ番組も、音楽も映像もデジタル作品もなにも発行してないからです。しかし最初に著作権を主張しなかったら、プログラム中に私が言ったことについて著作者人格権を主張することができるのかどうかが分かりません。やっぱりわかりません。


    Terre Thaemlitz as self
    Terre: 例えば、私があなたの言ったことをあなたが気に入らない何かに使ったとすればどうでしょう。

    Laurence: はい、そしてそれをあなたが出版するとかですね。特にその件について法的な契約はないですからね。でも嫌なことがあっても、それに対して私が自分で何かができる余地を残しておきたくないのです。その方がいいのです。

    私たちが、あるミーティングをアーティストや振り付け師などの人達としました。みんな友達でした。そしてみんな一様に「自分の作品を貸してもいいよ」と言いました。でもある点について、誰か一人が「いいよ。でも、もしこれを使ったら訴えるからね」と言いました。後でもし友達ではなくなった場合、関係はもっともっと大変なものになるのです。私はあなたを訴えないけれど、でも誰かがこの、何らかの著作者であるという力関係をかつて友達だった誰かを訴える為に使うことは容易に想像できるのです。そしてこのことが本当に私には厄介というが悩みの種なのです。なぜならあなたが私の言ったことからどんな低俗なものを作ったとしても・・・・

    そうですね、たとえばあなたの作品やスピーチが極右や中絶反対論者や、またはとても性差別的な物に利用された場合、あなたの中にいる著作者は、「これを止めるために私の著作者としての主体性を発揮しましょう」というというのが一般的な例だからだけど、私はその力(権利)を放棄したいのです。でもそのことが、この中で一番の弱者になることを認めたことになるのかどうかは分からないのです。つまらない話だけど、女性だからという理由から一番の弱者になると、フェミニズムの考えで、それはちょっといやだけど…

    Terre: はい、おそらくこの作品はコラボレーションで、片方の作者はどのような著作権についても全く関知しないといい、もう片方は100パーセント著作権を主張するというので・・・もしあなたの取り分がこのような植民地主義的なやり方で簡単に手に入れらるのなら、もう片方が100パーセントこの作品の著作者です、と嘘を言えば・・・たぶんプログラムの色々なテーマを考えれば、この微妙なやり方があってもいいでしょう。一人の人がひとつの態度をとりもう一方は違った態度を取り、ある意味どちらも偽善的または間違いの様になってしまうことの矛盾。私の態度はあなたのよりも偽善的で、でも…

    Laurence: いいえ、そうではなくて、これはどこでリリースするかにも関係するのです。これはあるラジオプログラムの為のラジオドラマです。もしテーリテムリッツが作った事にすれば、私たちはどんな話でも送れるし、ラジオ局も「いいですね」と言って受け取ります。でも私が一人で作る場合、ラジオ局が「いいね」って言うかどうかは分からない、という事実についてジョークを言っていました。だから私はこの作品について著作権を放棄することはかえって気楽になるともいえます。なぜならこれはあなたの仕事だから。私の仕事はサウンドプロデューサーじゃない。たぶん、私の仕事は、どんな事も私の考え方に矛盾しないようにする事だと思います。

    Terre: じゃあ、あなたは自分の権利を私にくれるんですね?

    Laurence: はい…

    Terre: はい、それではこれが法的な口頭の契約となると信じますので、ここで録音を今すぐ終了とします。

Sampling Examples

ここまではサンプリングをする場合に、さけられない問題についてお話しましたが、ではここからは私のサンプリングのやりかたについて、説明して行きたいと思います。 私は曲の中でサンプレを使う場合、自分の曲のテーマに合うようにサンプルを選びます。 実際に私の曲を使って説明しますが、これから使う曲は○○です。 まず、曲をお聞きください…

[著作権の関係上省略]

曲の関係から生まれる意味を探すために、五つのポイントが助けます…

  • サンプルした曲のリリック
  • サンプルしたミュージシャンの歴史とコンテキスト
  • サンプルした曲のジャンルとその関係
  • サンプルした曲の生産の状況
  • サンプルとあなたの曲の関係(類似性とかギャップなど…)

[著作権の関係上省略]

Copyleftが浸透すれば、先にFoucaultが望んだように、人々と作品の関係がちょっと変わるのではないかと思います。 もちろん、全部のサンプリングの問題がなくならないでしょう… まだ著作権ありの曲をサンプルしたい事も沢山ある。 社会と文化を考えれば、是非必要な時もあるでしょう。 でも、もしコピーレフト・ライセンスのある曲がふえれば、サンプルを選ぶ時に、選択が増え、 また著作権がある曲を使う時のようなリスクを減らすこともできるでしょう。