テーリ・テムリッツのアーティストとしてのキャリアは、ミニマル・アートシーンへのカウンターとしての“コンストラクティビズム(構造主義)・アート”(初期のフランク・ステラなど)に影響を受け、NYで絵画を学ぶ学生として始まる。しかしやがて社会に対して何も機能しない80年代初頭のNYにおけるアート業界自体にへきえきし、社会に対しより直接的な効果を生んでいくアクティビズム(主にフェミニズム、セイファー・セックス、トランスジェンダリズム)に傾倒、寄付金を募るためのベネフィット・パーティーでディープハウスのDJを始める。それは音楽家としての初めての仕事であったが、テムリッツによれば「この時期の音楽は重要ではない」とのこと。もっとも、現在彼女が取り組む様々なプロジェクトのアイディアはこの時期に学び培った多くの思想と現実に深く影響されている。DJとして契約したクラブも「ヒットをまわせ」というオーナーの要望をその都度跳ね返し、アンダーグラウンド・グラミーを受賞した翌日にクビになってしまったり、おそらくテムリッツが自身の表現をもっとも模索していた時期であろう。
この時期に重要な出合いが一つある。昼間は医大オフィスにて会社員(OL?)として勤め、夜はDJをやっていたその頃、“Csound. PPCソフトウェア”(パワーマッキントッシュ・バージョン)を開発したエリック・ダールが職場の同僚だった。彼よりコンピュータの知識を多く学んだテムリッツは自宅をスタジオとしたレーベル“comatonse recordings”を立ち上げ、数多くの魅惑的なヴァイナルをリリースし始める。ダールの作品『Anti-Instrumentations』もやがて“comatonse.001”というかたちでリリースされることになる。
|